河村瑞賢(かわむらずいけん)公園の河津桜♪ 見頃です♪


河村瑞賢(かわむらずいけん)公園の河津桜♪ 投稿者 isenosimao

江戸時代に海運航路の開拓や淀川河口の治水工事や越後の鉱山開発などで大きな功績をあげ、
幕府から大きな信頼を受けた河村瑞賢(かわむらずいけん)。
その功績をたたえ、銅像が建てられ整備された公園が国道260号沿いの南伊勢町東宮にあります。
河村瑞賢公園から見下ろす丘には約40本程の河津桜(かわづざくら)が咲き誇り、公園内には
東屋(あずまや)があり桜を見ながらのランチや休憩もでき花見客で賑わっています。
また花の蜜を吸いに目白(メジロ)などの野鳥の観察も出来ます。
 
でも近くでは国道260号の整備に伴い公共工事は虎視眈々と進んでいる、
また近くには太陽光発電のソーラーパネルが規則正しく南を向いて敬礼している。
瑞賢さんに見守られているかのような河津桜。
瑞賢さんに見守られているかのような野鳥たち。
江戸時代の公共工事の大物が生誕の地まで公共工事にさらされるとは思わなかっただろうな。
そこには相反する伊勢志摩国立公園の顔が見える。



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河村 瑞賢(かわむらずいけん)
元和3年(1617年)? - 元禄12年6月16日(1699年7月12日))は、
江戸時代初期の政商。幼名は七兵衛、通称は平太夫、諱は義通。
生年を元和4年(1618年)とする説もある。
伊勢国度会郡東宮村(とうぐうむら、現在の三重県度会郡南伊勢町)の
貧農に生まれるが、『評伝 河村瑞賢』(博文館)によれば先祖は村上源氏で、
北畠氏の家来筋であると自称していた。
13歳の時江戸に出た。
江戸幕府の土木工事の人夫頭などで徐々に資産を増やすと、
材木屋を営むようになり、明暦3年(1657年)、
明暦の大火の際には木曽福島の材木を買い占め、
土木・建築を請け負うことで莫大な利益を得た。
寛文年間に老中で相模国小田原藩主稲葉正則と接触、
幕府の公共事業に関わっていく。
航路開拓と同じ頃、河口付近の港では上流から流入する土砂によりしばしば港が閉塞する問題がおきていたが、
瑞賢は上流の治山と下流の治水を一体的に整備すべきとの認識を得ていたといわれる。
延宝2年(1674年)に淀川で大洪水が発生。
天和3年(1683年)に若年寄稲葉正休が淀川の視察に訪れた際に瑞賢が案内役を務め、
瑞賢の治水の考えは徐々に幕府上層部に影響を与えるようになった。
そして、貞享元年(1684年)から同4年(1688年)までの第1期、元禄11年(1698年)から同12年(1699年)までの第2期にわたり、
大坂市街が位置する淀川下流の治水工事を任されることとなる。
第1期では九条島切開による安治川の開削、大川・堂島川・曽根崎川の拡幅など、
第2期では堀江川の開削、十三間堀川の開削、難波島切開による木津川の直線化などが実施され、
河岸では新地開発も同時に行われた。
安治川の開削で出た土砂によって安治川入港の目印となる波除山が築かれ、一名を瑞賢山と称した。
ほかにも全国各地で治水・灌漑・鉱山採掘・築港・開墾などの事業を実施。
その功により晩年には旗本に加えられた。
その活躍は新井白石の『奥羽海運記』や『畿内治河記』に詳しく、「天下に並ぶ者がない富商」と賞賛されていた。
ウキペディアより










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